OWN THE FLOOR | KOTORI
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自分を解放してくれたダンスのために
ダンスは時々、人をつなぐ言語になる。踊ることで自分の想いが誰かに伝わり、コミュニティを広げ、まだ誰も見たことのない可能性を解放してくれる。そしてここにも、ダンスで自分を解放し、ダンスの可能性を解放しようと挑むひとりのダンサーがいる。
KOTORIが生まれ育ったのは北陸の地、富山県。大都市に比べればダンサーの数は少なく、踊るための環境も限られている。そこで移した拠点、東京では今までにない挑戦の日々が続いたという。ダンスを通して、今の彼女の目にはどんな景色が映っているのだろうか。故郷への想いを胸に踊る彼女のこれまでとこれからを聞いた。

情熱は、地元から外の世界へ
「ダンスを始めたのは5歳の頃です。小学3年生ぐらいの時までは富山県のダンススタジオで踊っていました。しばらくして、小学5年生の時に大阪で教えている著名な先生が隣の福井県に教えに来ることを知ったんです。そのため、わざわざ車で時間をかけて足を運ぶようになりました。週に一回、母に送り迎えをしてもらいながら地元にはない刺激を受けに行くのが習慣になっていましたね。
どんどん県外に出向いて練習したり大会に出場したりするようになったのはそれがきっかけです。広い世界で活躍しているダンサーさんを生で見て、同じ空間を共有することの影響力の大きさを実感して、挑戦することにもっと前向きになっていきました。
3年前に上京してから、自分が思った以上に活躍できなかった時期がしんどかったですし、悔しい思いもたくさんしました。東京で出会った先輩方と同じ立場で大会に出ると、やっぱり地方とは違い結果を残すのが難しい。また、自分はレッスンを持って生徒に教える立場にもあるのですが、なかなかレッスンに来てくれる人が少ない時期がありすごく悩みました。ただ、今は目の前のことにコツコツと向き合い続けたことで少しずつ良い方向に変わってきているので、挑戦をやめないでいようと思っています」

踊ることで繋がれる
「今でも自分の一番のエネルギーになっているエピソードは、中学生の時に全国大会のファイナリストに選ばれたこと。また、別の全国大会で入賞という結果が残せたこと。その時の大きな舞台で踊った感覚が忘れられません。自分のダンスを見たお客さんが歓声をあげてくれて、アドレナリンが出て、ダンスやってきて本当に良かったと思った瞬間でした。
ダンスを始める前はもっと静かな性格で、どちらかというと『陰』なタイプでした。小さい頃は県外に行って練習すると全然踊れなくなっちゃたりもしたんですが、実はもっと自分をさらけ出したいって思っていて。ダンスの楽しさを知ってから小学校でひとりで踊っていましたね。ダンスを通じて自分を表現できるようになりました。
ダンスってコミュニケーションだと思うので、言葉がなくてもダンスだけで会話ができるって信じてます。イベント会場やストリートでも、どこでもダンスがあれば繋がれる。あの瞬間、あの空間が自分は大好きで、仲間と踊ることが大好きです」
北陸で、もっとダンスを
「昔と比べてだんだんとダンスが広まってきていると感じます。でも、私の地元の富山県や北陸はダンサーも少なく、練習をする場所も少ないので正直寂しい気持ちもありました。今は地方でもスタジオやダンサーが増えたりしていますが、もっとそんなシーンが広がっていったらいいなと思います。ダンスが盛んでない地域でもダンスが好きな人が沢山いると思います。私はそんな人たちにもっとダンスを身近に感じてもらいたいし、ダンスの素晴らしさを伝えたい。それを実現できる人になりたいですね」
「昔と比べてだんだんとダンスが広まってきていると感じます。でも、私の地元の富山県や北陸はダンサーも少なく、練習をする場所も少ないので正直寂しい気持ちもありました。今は地方でもスタジオやダンサーが増えたりしていますが、もっとそんなシーンが広がっていったらいいなと思います。ダンスが盛んでない地域でもダンスが好きな人が沢山いると思います。私はそんな人たちにもっとダンスを身近に感じてもらいたいし、ダンスの素晴らしさを伝えたい。それを実現できる人になりたいですね」
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